花組(東京宝塚劇場)「マラケシュ 紅の墓標/エンター・ザ・レビュー」
■2005/05/31(火)
 芝居は、「夜明け(=明るい未来)が早く来ればいいのに」と願いつつ、悪夢(=過去)から覚める勇気がない者たちが集まる土地マラケシュ(=現在)。そこで交錯する感情、ってとこでしょうか。自分で決着をつけられない感情を抱え、世界の最果てで、ただ時が過ぎるのを待っている。誰と誰がくっつき、ではなく、ふと出会い、そして別れる。ネタ的にはものすごく!好きです。しかし、イマイチ話に入れない。専門用語で言えば「萌えない」。これは脚本、役者、双方に原因があります。
 まず脚本。「螺旋のオルフェ」を繰り替えし見ている(モチロン現在形だ!)ので、現在と過去の場面がいったり来たり、ってのはわかるんですが、やっぱり唐突すぎますよね。「螺旋」だと、アリオン様という、過去の事実・イブの幻想・現在を繋ぐ人がいるので、いろんな場面に飛んでもそれほど違和感がないのですが、今回はとしこさんの蛇だけなので、ものすごく「イキナリ感」があります。もう少し滑らかに繋げられると良いのですが。としこさんの蛇もなんだかなーです。としこさんの踊りは好きなので、単体で見るとありがたい限りなのですが、うまく「コロス」として機能していないように思います。そもそも必要なのか?みたいな。オサ・ふーの次ぐらいに目立っているので、よけい謎な存在になっています。そう、登場人物も散漫というか。各自の「囚われているもの」が軽いというか、納得しきれないというか。蘭とむの変なドイツ人、ありゃ、なんですか?「金の薔薇」ってそんなに美しいものですか?とかとか。役者に思い入れがあれば脳内補完ができるかもしれませんが、そうでないと、皆さんの強い感情について行けず置いてきぼりをくらっちゃいます。いろんな人に役を振りすぎて、一人一人の書き込みが足りなすぎる。あと台詞が正塚か?というぐらい説明していないよねえ。語尾の「・・・」はないけどさ。
 そして役者。皆さん屈折率が足りない。登場人物のがそれぞれに忘れられない重い過去がある、ハズなのに、重く見えないんだよな〜。もちろん、その明るさがそれぞれの役者の個性(魅力)であって、宛て書きできないオギーの方が悪いんだけどさ。リュドヴィークとイヴェットは、過去に事件があったからこそ、いまマラケシュで出会ったというのに、お互いなんとも思っていなさそうだし。生還したクリフォードに出会ったオリガには感情の揺らぎが感じられないし。それぞれに「複雑な思い」が感じられないんだよね。「一つの思い」しか感じられない。これがねー、ター&アキなら萌えただろうなあ。マミ&檀でも萌える。やっぱり、「大人」じゃないとダメなんだよな〜。「『いろいろあって』『ここ』にいる」の「いろいろ」を感じさせてくれなきゃさあ。
 オサちゃんがやっぱりさあ、前向きに生きる人が似合っちゃうからなあ。最果ての地でウダウダしているのが似合わないんだよなあ。ふーちゃんは、ロシアの亡命貴族、ってとこからしてアレなんだけど、迷いがない女性にしか見えないんで。愛しているかどうかわからない夫を探しに来て、自分と同じように過去にこだわりを持つ男に惹かれそうになりつつも、最後はやっぱり愛していると確信は持てない男と夫婦生活を続ける、っていう気持ちの流れがね、見えづらいよ。樹里ちゃんは、またもや死ぬ役か。しかも無駄死。リカルド〜。この人も「蝙蝠」のような自分が・・・というのが見えなければならないんだけど。役者以前に脚本的に、その辺が描き込まれていないからなあ。一旗揚げようとする坊ちゃんにしか見えんというか。ユミコは彷徨う男。漫画なら「そのころのクリフォード」って枠外に書かれる役回りだよな。マラソンする藤真みたいな。
 と、オギー作品だけに、語り出したら意外と止まらなかったわ。これで東京前半なんだよなあ。ムラだとどんなだったんだろう。後半には、もうちょっとドロドロさが増しているのかなあ。ちょっと「螺旋」を見返したい気分です。話の山場がないんだよなあ。あすか&蘭とむのデュエットが一番熱く盛り上がるような。「あなたの手で撃って」のような、「オギーーーーーーッッ」って場面がねえ。ないんだよなあ。「朝が来る」って絵もイマイチ足りないしねえ。それと、ショーではあんなに群舞を使って舞台上に人がたくさん乗っていることが多いのに、芝居だとスカスカになるのは何故?むうう、「螺旋」みたいに、ビデオで見るとわかるものがあるのかなあ。

 ショーも、オーソドックスではあるんだけど。黒タキもスパニッシュもあっていいんだけど。乗り切れないなあ。樹里ちゃんのコメディアンと猛獣使いは好きだけどさ。まず「ボンジュール」に腰が砕けたよ。オサの女装も面白いってほどじゃないし。娘役ちゃんたちが踊りまくっているのは好き好き。舞台に出ているときは常に踊っているってのは、見応えあるよね。さすが花組なのだ。でも、こっちも山場がないんだよなあ。芝居・ショーとも嫌いではないけど乗り切れない、そんなカンジです。

 あとやっぱりさあ、オサの持ち味を生かすには、2番手が濃い方がいいよね。樹里ちゃんだと明るすぎる。前々回まではあさこ、前回はミズがいたんで、それほど気にならなかったけど、樹里ちゃんでコレでしょ?次はユミコだよ。そんで、まとぶ・蘭とむって続くんだよね。大丈夫かいな?ウチがあさこを貰っちゃったのが原因ではあるんだけどさ。

 思い出した。これら以外に印象に残ったのは、副組長の歌声です。ここ数年聞いたことがなかったので、誰が歌っているか一瞬わかりませんでした。ちょっとビックリ〜。あと、ムーラン・ルージュに出てきた紫のチュチュは「ザッツ・レビュー」の2幕冒頭で、まーちゃんととしこちゃんが着ていたなあ、なんてことを思い出しました。砂漠の風景は「砂漠の黒薔薇」を思い出してしまった・・・ orz

 ショーのアドリブ。本日は友の会優先公演だったので、それ関連。女装のオサ「友の会の皆様のために、ニューバージョンよ〜」。樹里ちゃんのコメディアンは「友の会の皆さん、こんばんにゃ〜」「みなさん、宝塚、好きですか〜」と問いかけて、客に答えさせていました。可愛かったわあ。最後に組長とオサから挨拶あり。「宝塚歌劇、なかでも花組を!」とは言わないのね。あれは月組の組長だけが言うのかしら。オサは「宝塚友の会貸切公演」と思いっきり言っていました。貸切じゃないんだよね。さえちゃんも同じところを間違っていたなあ。

 関係ないんですが、先日見た「サハラ−死の砂漠を脱出せよ−」のロケ地の一つがマラケシュだとか。なんという偶然。と、友とウハウハしましたわ。


■2005/05/31(火)
 芝居のネタ自体は好きなんだけど。とっても好きなんだけど。やっぱ、前回にも書いたように、主演二人には合わないんだよなあ。過去はスッパリ切り捨てて、明日を新しく生きていこう!ってのが似合うからさあ、取り戻せない「昨日」に囚われている姿が似合わないんだよなあ。これが、この二人じゃなきゃなあ、と見ていても何回か思いました。そして。やっぱり前回にも書いたけど、「生きていた夫」に再会したオリガの表情が・・・。今日はオペラグラスを使ってしみじみ見たけど、「生きていて良かったわ!明日から頑張りましょう!」って表情しかないんだよなあ。「どこかに『昨日(=リュドヴィークの面影)』を抱えながら」、それができなければせめて「『昨日』に決別して」って表情を混ぜて欲しい。それがなければ、たんなる行動派の妻じゃん。それじゃオギーの主題から外れるじゃん。
 ショーは、前回はそれほど良いとは思わなかったけど、さすがに花組。群舞の揃い方に心が洗われました。黒タキも、娘役の白いドレスも、なによりも階段ダンスが!美しい。これぞ花組ですな〜。今日は楽しく見ました。
 
 大劇場モノで樹里ちゃんを見られるのは今日が最後。日生がまだあるけどね。それなりに立ててもらっていたけど、ショーの最後の4組のデュエットに加えて欲しかったなあ。それでエトワールより2番手格で大きな羽を背負って欲しかった。。。と見たときは思ったけど、もしかしてエトワールの方が番手外で「オサの下」にならないのかな?