花組(東京宝塚劇場)「落陽のパレルモ」「ASIAN WINDS!」
■2006/01/15 (日)
「落陽のパレルモ」
 第二次世界大戦下のイギリス。名門カヴァーレの当主ヴィットリオは恋人を伴いジュディッタを伴い、生活の場のミラノから故郷シシリアに戻る。そこで彼は、自分と同じ名前の曾祖父と曾祖母の恋物語を恋人に聞かせる。

 19世紀半ばのイタリア。統一戦争で功績を上げたヴィットリオは、名門貴族カヴァーレ公爵の長女アンリエッタと愛し合うようになる。身分違いに苦しむ二人。果たして、二人の運命は・・・。

 ユダヤ人のジュディッタとは、ファシズム政権下のイタリアでは結婚することができない。恋人達はアメリカへと旅立つのだった。

もうねーーー
景子ちゃんの
乙女ドリーム
大爆裂

です。
見ていて、とっても辛かったです。
今日のヒビキのデキなんて問題外になるほどでしたよ。
なんちゅーかねー、自分の「萌え」だけじゃ話が成り立たないので、いろいろ芝居にするために体裁を整えてみました、っていうその部分がね、あまりにも適当なんだわな。キムシン的説教なんだけど、そこが本題じゃないので、ものすごく薄っぺらいのよ。特権階級の貴族を云々とか言うのがオサ・ヴィットリオの言い分で、そのために彼は戦って仲間も死なせたのに、自分が大貴族の御落胤と知ったら、なんの疑問もなくその立場に収まっちゃうのよ。いままでのあなたの戦いはなんだったんだよーーーっっ!と叫びたくなります。いっそ、「山猫」をそのままパクってくれた方が、よっぽど良かったよ。こんな話・・・・・・。ああ、情けなや。
 で、その話を挿入しなければならなかったほどの景子ちゃんの「萌え」ポイントですが、おそらく、「白いドレスのクラウディア・カルディナーレ」と思われ。
山猫 イタリア語・完全復元版  山猫
せめて「萌え」がアラン・ドロンのタンクレディなら、あるいは、オサに各種取り取りの軍服〜 なら、「ヴィットリオ(という男を)描く」って話になったんでしょう。でも、まず、「白いドレスのクラウディア・カルディナーレ」ありきだから。それを宝塚の舞台に存在させるための話だから。それを中心に話を作っていったので、その女性にまとわりつく男性をうまく創造できなかった、そんな印象を持ちました。
 それなのに、ああ、それなのに、、、。景子タンの乙女ドリームだけは炸裂していて・・・。オサの登場場面、マントが風にたなびいているよ。デスラー総統みたいだよ。そして、そして、夜這いシーン。雷が鳴っているよ。開けた窓、白いカーテンがたなびいて・・・。ああ、ついて行けない・・・・。

 もしかして、「山猫」を知らなければ面白いのかなあ。でも、ポスターがすでに「山猫」だったからさ。で、オサ・ヴィットリオを平民のまま悩ませて悲恋にしておけばいいものを、やっぱりバート・ランカスターは出さなきゃダメでしょ、とばかりにドンブイユ公爵を出しちゃったから、余計にすっきりしないんだよねえ。
 さらに問題点を言うのなら。児玉っちもその傾向があるけど、自分の中では完成品なんだろうけど、見る側に理解させようという配慮をもう少しして欲しい。芝居を見る方はね、脚本は読めないの。だから役名は耳で聞き分けるしかないのよ。貴族に勿体ぶった、お耽美な名前をつけたいのはよくわかるけどさ、だからと言って、「アレッサンドロ・ファブリッツィオ・ディ・カヴァーレ公爵」とか「ヴィットリオ・ファブリッツィオ・ロッシ・ディ・カヴァーレ」とか「マリオ・フランチェスコ・ディ・ドンブイユ公爵」は、ないだろう。聞いてもわからんぞ!自分の中では漫画のように、または、洋画の字幕のように、頭に浮かんでくるんだろうけどさ、耳で聞くだけで、どうしろっていうんじゃーーーーっっ!
 そうそう、「萌え」だけで作品を作るところは児玉っち、人間平等と説教になるのはキムシン、これに加えて人質話は正塚、お祭りの風景は中村A、と、いろんな先生を思い出す部分がありました。他にもあったような・・・。

 なんていうかねーーー。役者や映画監督っていうのは、一生に一本あたりをだせばイイと思う私ですが、宝塚の演出家だけは別ですなーーー。(大劇場)デビュー作は好きだったんだけど、「ドン・ファン」、そしてコレ、と、萌え優先で、話ができあがっていないよ。期待しているんだけどなあ。「話作り」に「失敗した」ジャジーの方がなんぼかマシだなんて・・・。いやーーー泣きたいよ・・・。

 オサは、とにかく矛盾だらけの男だからな。魅力を感じなくても仕方がないわな。軍服はそれほどそそられない。いつもと違うマイクのせいか、歌声が通りにくかった。ふーちゃんはコスプレが良く似合う。ドレスの新調が多くて嬉しいなり。アンリエッタという女性自体は(も、だな)中身がない役だけど、綺麗なドレスをうまく着こなしているから、まあ、よろしかろ。現代物よりずっとイイよ。
 ユミコは、「マラケシュ」に続き、本編に絡まない役。演技はいいんだけどねえ。勿体ない。まとぶんはそんなに浮いていない。蘭とむが濃いからか?その蘭とむは黒塗りっぽい役。へへへ、嬉しいなあ。まとぶんと並ぶと意外に若いかも。

「ASIAN WINDS!」
 芝居があまりにも辛かったので、相対的に良く見える。「テンプテーション」ほど、「岡田敬二傑作選」にもなっていないし、例の色分けもあまりない。前作「アジアン・サンライズ」からは「エイサ」を使っているぐらいで、あまり被っていない。わりと見やすいショーです。服部先生のコーナーは、唐突な気もするけれど、TCAのノリみたいで、それほど違和感はない。階段の黒燕尾ダンスもあるし、嫌いじゃないよ。ただ、「アジア」を「エイジア」と歌うのは止めて欲しいわ。
 銀橋デュエット後のトップコンビ。寄り添っているだけなのが、ちょいとつまらない。リカちゃんならなー、くらりんの背後から腕を回して、ぐわっ!と抱きしめて、頭を引っ掴んで自分のおでこにゴチンとやるのにな〜〜。アレに慣れていると物足りないっす。エトワールの華城季帆ちゃん(で合っているかな?)が、ものすごく綺麗な声でした。美しい〜〜っ!
 そうそう、フィリピンの「サンパギータ」。どこかで聞いたことがあると思ったら、「イッツ」のリスの歌だったよ!バンブー・ダンスのところ!懐かしかったわ!!歌うはまとぶん。なんか、ぶんぶんに似てきているような気がする・・・。

芝居ではオサ>ユミコ≒まとぶん>蘭とむ、だったけど
ショーではオサ>ユミコ>まとぶん・・・でした。


■2006/01/31 (火)
女性が作った乙女ドリームより、
おじさんが作った「昭和歌謡ショー」の方が楽しいって、
女としてどうよ?と自問する3時間ですな。

芝居の方は、
脳味噌が茹だる
クサい台詞のオンパレードに頭痛が・・・

 私たちの愛は
 幸福の岸辺に
 辿り着くことができるのでしょうか

   *うろ覚え

いや、クサい台詞自体は、嫌いじゃないんですよ。
ただね。
「決め台詞」は「決め」の場面で使うから決まるんであって。
最初から最後まで同じような言い回しじゃ、
「決める」ことはできないのよ。
これが「文字」「読む」のなら、
それはそれは美しい世界を想像できるのだと思いますが、
芝居はね、舞台はね、「音」の世界なのよ。
音だけで「耽美(な漢字)」を想像するのは難しい。
それが、一片の台詞ならともかく、
1時間40分に渡る台詞だからね。
正直
飽きるんだよ。
くどくどクドクド、運命の愛だの、結ばれない運命だの、言いまくってさ。
そのわりには夜這いに行ったり、ベッドに誘ったり
ヤることはヤっているんだから、
それで満足しやがれよ。
そもそも「曾祖父と曾祖母の物語」なんだから、
ハッピーエンドに決まってるじゃん。
それを、まあ、長ったらしく、台詞をこねくり回すもんだから
あーーーーうーーーーー、と唸っちゃうんだよう。
柴田作品もクサい表現オンパレードだけど、
「音」による「台詞」で「話」を作っているので
耳で聞いても違和感がないんだよね。
この「パレルモ」は台詞の言い合いで終わって、
台詞以上には、「絵」で見せていない。
そこがなによりも、見ていて辛い部分。
実の父の「彼女のことは、片時も忘れたことはなかった」って
嘘だろう〜〜、としか思えない。
忘れてなければ、いろいろ手段はあっただろうに。
公爵なんだから。
当時の公爵は、一国の王とほぼ同じだよ。
それが、「偶然」ロザリオを手にした男を見て
「息子」だと思うってさ。
ありえんだろう。
たったいま、思い出したようにしか見えないんだけど。

で、ヴィットリオ達の娘(エルヴィラ)がカヴァーレ姓なのは、

(1)ドンブイユには正式な結婚により生まれた息子がいたので
   公爵家はそちらが継ぎ、ヴィットリオ・ロッシが
   カヴァーレ家に婿養子で入り継いだ

(2)カヴァーレ家は次女(アンリエッタの妹)が継ぎ
   その息子とドンブイエ家長女が結婚した

の、どっちなんでしょう。
この辺の説明も欲しいなあ。

そいでもってね。オチがね〜〜〜。
やっぱり、納得できないよねえ。
「じゃじー」は10回連載予定を
7回でいきなり打ち切られてようなオチだけど
こっちは10回予定が8回の予定に変更になったんで
オチを慌てて書きました、ってカンジだね。

さらに言うのなら。
ヴィスコンティの「山猫」は
日本人全員は見ていないのよ。
「イタリアの新しい時代」「貴族の凋落」ってのは
景子ちゃんの頭の中には織り込み済みなんだろうけど
実際には台詞で「チョロっと」言うだけ。
この、金ピカの衣装を着た人たちが「凋落」?
贅を極めた支配階級で、いままさに絶頂期みたいよ。
どこが落陽だよ!
この辺もね〜〜、説明すべきだろうよ〜〜、と思うワケよ。
赤シャツ隊とかガリバルディとかもね。
説明できないんなら、入れなくてもよろしかろう。

出演者は熱演なんだけどね〜〜。
まあ、豪華な衣装を見るだけでもいいかね〜〜〜。

と、投げやりな気分の後に見ると
「昭和歌謡ショー」が面白いんだな。
単体で見て、あるいは、他の芝居との併演で見て
面白いかはわからんけど、
この芝居のあとなら「ブラボー!」です。
岡田先生の色分けに、原色だけでなく
白とか灰色とかも入ってきたので、ちょっと新鮮。
「エイサ」は一緒に身体が揺れそうになって困る。
中国の「水」の場面は好きだわ。
そして「昭和歌謡ショー」ね。
蘭とむのチャイナドレスは、「オカマ」ではなく、
ナチュラルに「男の女装」だよなあ。
あんなに脚を見せているのに。
なぜ、前回をそれを思わなかったかというと、
その場面はさおた氏の踊りを見ていたからだ、と
今になって気が付くワタシでした。

この回はeプラス貸切公演。
お遊びは「東京の屋根の下で」の蘭とむ。
髪を後ろにピッタリと撫でつけ、ビン底眼鏡。
直立不動っぽく歌う姿は東海林太郎か。
眼鏡は「カンカン娘」のあすかちゃんにかけていました。
中詰め銀橋では、オサやふーちゃんも
その姿にビックリさ!
オサの一言は「蘭寿とむが失礼しました」でした。

階段黒タキは、ダサダサダサ〜とカッコイイの
紙一重っぷりがイイですな〜〜。
それにしても、さすがに花組。
揃っているよ。
最初は、うにょうにょ〜〜、と適当に動いていたのが
あっというまに整列するところが大好きだわ。

あ〜、しかし、蘭とむが欠けて大丈夫なのか?
あの濃さがココから消えたらどうなるのかしら。

まとぶんは、やっぱ、ぶんぶんに似ている。
でも、ぶんぶんの甥っ子に似ているから「うん太」なんだよね。
ぶんぶん自身と似ていても不思議ではないのか。

ロケットで、トランペットの音が裏返りそうになったので
「こんな時イブキさんを召喚できれば」と
終演後友人に言ったらば
「イブキさんの音だってぷぺーーだよ」って言われました。

確かにね。


■2006/01/15 (日)
芝居は仕事の都合でキャンセル。
ショーから見ました。

単体でも結構好きかも。

波(海)、水滴、上海の夜景、銀座の雑踏など、
映写がうまく作用していますね。
小池先生の電飾はあんなに貧乏くさかったのに。

特に「中国」がイイ!
青いライト(?)を上まで手繰り寄せるのが
いかにも「人力」ってカンジなのが
イイですよね〜〜。
ここを見ると、岡田先生も捨てたもんじゃない、と思います。
(すいません)

「エイサ」が、ものすごくテンションが高かった。
ちょっとビビッた。
ひゅーひゅー、掛け声が出まくり。
蘭とむあたりからかなあ。

服部良一ショーも慣れてきたので楽しいぞ。
お年を召された頃の藤山先生が歌うのしか
見たことがなかった「青い山脈」。
その曲を、若い人が歌い、若い人が聴く。
父が聴いたときも、こんなカンジだったのか、と
いい経験をさせて貰いました。
それに昭和歌謡は宝塚に合うから(笑)
なんと言っても、昭和2年リリースの「モン・パリ」が
普通に歌われちゃう世界なんですからね。
さおた氏ととしこさんのペアもウハウハです。
オサの一言は「サンキュー」なのね。
前二回は貸切だったので、
今回初めて普通バージョンを見たのですわ。

黒タキダンスも、やっぱ花組はいいですわ〜〜。
「非常口のポーズ」だってカッコイイわよ!


これでユミ−とむの並びが見られなくなるのが寂しいなあ。
むかしは、薄い方がユミコで濃い方が蘭とむ、
と、見分けていました。
今は単独で出てもわかります。
ユミコはだいぶ男っぽくなったし、しっかりして来た。
ショーでも、ちゃんと「2番手」でした。
キャリエール、なのかなあ・・・?
トウコちゃんが演っていたボンボンの方が似合いそうだけど。


ふーちゃんも今日で見納め。
現代物の時はあまり好きではなかったけど
アデルマなど、コスプレ系はわりと好きでした。
あと、なんといってもマルゲリタですね〜〜。
作品自体は腹が立つばっかりでしたが、
ピンクのドレスを着て「ギスターブ」と言ってるふーちゃんは
とっても可愛かったです。
お見送りには行けないけれど、今後とも頑張ってね!