花組(東京宝塚劇場)「ファントム」
■2006/09/03(日)
 ムラで見たときよりは、だいぶ良くなったかなあ。
ムラのオサ・エリックは一人で突っ走っていたけど
今回は、それなりに、クリスティーヌを見ている。

でも、あくまでも、
「それなりに」
なんだよな。

私はタカハナ信者でもないし、
初演と再演を比べるのはどうかとも思うけど。
それでも、やっぱり、タカハナ版には及ばない。

エリックが、この世に生まれてきたのは
呪うべき、不幸なことであったけど
クリスティーヌに出逢えたから、
それがすべて帳消しになった。
プラマイゼロどころか、大幅なプラス。
暗闇の中の、たったひとすじの光。
その光を見ただけでも、
たとえ触れることも、手に入れることができなくても
それを見ただけで、生まれてきたことに感謝できた。
そんな話であるべきだと思うんだけど、
オサ・エリックにとって、光は自分自身なんだな。
人を愛して苦悩する自分こそ、光だと思っているんじゃないか、
と、見えてしまう。
彼女が初演なら、また違った見方ができたかもしれないんだけどね。
タカコさんのエリックを見ていると、
どうしても、ナルシストな部分、
この言い方が悪ければ、他人を見ない部分が
浮き出てしまうんだわな。

また、オサだと、「大人の分別」を感じてしまうときがある。
タカコさんのエリックは、純粋ゆえの残酷で
人を殺すことには疑問を持っていないだろう、
いままでも虫を殺すように自然に人を殺してきたんだろう
という雰囲気があった。
でも、オサのエリックって、
衣装係は事故だし、警官には傷を追わせただけだしで、
殺したのはカルロッタだけ???って思っちゃう。
人を殺す、という「重さ」を知っているようだ。
だからこそ、思う。
外に出て、働け!
「僕も外に・・・」と言ったとき、
「まったくだ!」と思ったよ。

そんな大人のエリックなので
ユミコが、おっさんであったとしても、
エリックの「父」と感じるのが、あまりにも辛い。

オサ・エリックは、「ファントム=幽霊」としては
存在していないんだよなあ。
彼が「ファントム」なのは、キャリエールの優柔不断さ、それつきる。
外に出せない父が養っている、ように見えてしまう。
得体の知れぬ「ファントム」では、ない。
そういう意味では、似たもの親子か?
(でも、そーゆー話ではないハズ)

で、彩音ちゃんだ。
宝塚の生徒は役を選べないから仕方がないけど
歌が厳しいなあ。
それに、音域が違うよね。
「♪ メロディ メロディ」は、
もっとソプラの歌声でないと似合わない。
エリックが、「もう、教えることはない」って言うけれど
「えええええーーーーーーーっっっ!」と思うのは、私だけ?

やはり、この作品は、
エリックとクリスティーヌの役者が、
対等の力量であるべきなんだな。
新娘1には荷が重すぎる。
エリックは、あくまでも「先生」であって、
「異性への愛」の対象には見えない。
次作の「うたかた」は合うと思うんだけどね。

そして、ただでさえ平坦になるBの演出なのに、
さらに再演だからさあ。
眠くなる。
宙組のときは、すごく感動したのになあ。
緊張感がまったく持続できない。


■2006/09/28(木)
ムラで見たのを含めると、今回で4回目。
しかし、彩音ちゃんの歌は、あまり進歩はない。
「♪メロディ メロディ」とか「♪ラララララ〜ン ラ ラララ〜〜」を効くと
むううう、と唸ってしまうぐらい、ヤバい。
コピット版クリスを見るのが彼女が初めてなら
ほんのちょっとの「?」ですむのかもしれないけれど、
ハナちゃんを見たり、アメリカ版のCDを聞いていると
愕然としてしまう。
しかし、今回は私の方が進歩した。
対タニオカ用受信機を起動し、歌のハードルを一気に下げる。
と、、、、
ソプラノの伸ばす歌声は綺麗に出てるじゃん、と思う。
そして
可愛いから
すべて許す

という心境になってしまうのだな。
いいじゃんか、可憐でさあ。
野に咲くひなぎくって風情がたまらんのだ。
2か8で、オサの新嫁は技術力ではなくクリスのイメージを先行ってのを
読んだ気がするんだけど、なんか納得。
彼女の子供っぽさ、無邪気さが、いい具合に役に反映されている。
自分が望んだのにファントムの顔を見て逃げ出してしまったことに、
「誤らなきゃ」を何度も繰り返す。
そのひたむきさに、ちょっと泣けるのだ。
彼女にとって「先生」は、あくまでも「先生」であり、
父親に近い存在であったけど
ファントムがボートに乗せられたあたりで、はじめて、
彼を思う気持ちの中に「恋」という感情があったことに気が付いたのかもなあ、
と妄想してみたり。
次作はマリーだし、自々作はたぶん早苗じゃないかと思うので
しばらくはこのキャラでも大丈夫でしょう。

むしろ、問題はオサの方だよなあ。
今までの嫁は、自分で話を引っ張っていくタイプだった。
ふーちゃんのように、例え芝居が噛み合わなかったとしても
ストーリーを牽引する力はあった。
しかし、新しい幼妻は、ただ座って微笑むだけなので
オサが芝居を動かさなくてはならない。
んだけど、
動かしてないなあ。
だから「春野寿美礼ショー」になっちゃうんだな。
もちろん、ファンの方から見れば、
エリック中心に、ちゃんと話が動いているんだろうけど。
ファンじゃない私から見れば、悪い言い方だけど
ガラ公演みたいな。
特に今回は、2番手と張り合うような芝居でもなかったしね。

で、キャリエール。
婿養子に入ったのに、家業を潰した。
結婚しているのを愛人に黙って妊娠させた。
愛人に子供を産ませたことも、
醜いその子供が自分の子だと周りに知られるのがイヤで
ずっと地下から出さなかったとか、
そりゃ、もう、これ以上ないほど最低な男で。
エリックの、絶望に泣き叫ぶが地下から上に伝わって「怪人伝説」なったって、
ほっとかないで
なんとかしろよ!

と、思うワケよ。
エリックが「じゃあ、僕もここから出て行く」って言ったとき
親子二人が力を合わせて生きていく、って選択肢はなかったのか?
それを選んでいれば、エリックも
人殺しなんかしなかったんじゃないのか?
キャリエールが加藤剛(が演じた)なら、
親子で手を取りあって外に出る、で、話は15分で終わったよなあ。
それを感動に持っていくのは
かなりな力業が必要だけど、
ユミコには少々「ご意見無用!」的な部分が足りなかったようだ。
親子の対面では、腹立たしさの方が先に立って
全然泣けないよ。
ただ、エリックが鎖でがんじがらめになるあたりで
エリックの名を呼ぶことしかできず、
ただただウロウロしているところは、なかなか良かった。
こんな男だから、エリックが成長しても
なんの手段もとれなかったんだなあ、と。
ええと。つまりはアレか。
キャリエールを婿に望んだ前支配人が悪いのか。
(婿養子じゃないかもしれないけれど。なんとなくそう思っています)
ユミコは、ワタシ的には
キャリエールに見えるためのオヤジ度が全然足りない。
でも、フランツは合うと思う。楽しみだわ。

ものすごくいろんなところから怒られそうだけど
そのかちゃんって、ケロと雅子妃を足して2で割ったビジュアルじゃない?
とか思って、舞台に出ているときは結構見ちゃいました。
月組に来ればたくさん観られるんだから
そのかちゃんをここで見るのなら、みわっちやまっつをもっと見ろ!と
自分を叱ってみる。

まとぶんはいまだに星カラー。
このカラーのまま花1になるのかなあ。

きほちゃんの歌声は大好き
カルロッタの付き人役の花純風香さんは芝居がうまいなあ。


いつだったか、TVで顔が奇形の子の話を放映していて。
10歳ぐらいになるまで鏡を見たことがなかったから
初めて自分の顔見たとき、叫び声をあげたんだって。
それまで自分の顔が他人と違っているとは思っていなかったとか。
エリックの少年時代のエピソードで、その話を思い出した。
その子は整形手術を繰り返して、
だいぶ普通の顔になったんだけど
エリックの時代に、それは無理だろうしなあ。
だからといって、キャリエールが隠すのは
やっぱり理解できないけど。
このTVの話の子は、親が亡くなったかなにかで
小さい頃からずっと養父母に育てられていたのよ。
顔の造作が普通の子と違っていても
実の親でなくても、愛情を注げる人がいるのに
キャリエールは「自分の子が醜い」のは
イヤだったんだろうなあ、と思わせる芝居の展開。
もしエリックが普通の顔だったら
キャリエールはどうしたんだろう。
やっぱり地下から出さない気もするけれど。