ウィーン版「エリザベート」のDVDを買う
■2006/02/04(土)
●とりとめのない感想なので、詳しいレビューや、日本版との相違点については
  他サイトさんをご覧下さいね。

 エリザ・ガラ・コンに行ったら会場で販売されていましたよ。さっそく入手。税込5000円。日本のDVDプレイヤー向きのNTCS方式です。会場以外でもキャトルなどで販売されるみたい。

 参考  宝塚公式HP

PAL方式の輸入版本体が3600円ぐらいなので、送料+手数料込みと思えば、まあ、お買い得かと。2層式のDVDなので、取り出すときにドキドキしちゃいましたよ。日本語字幕や日本語歌詞カードはありませんが、宝塚版あるいは東宝版を観ていれば、なんの問題もないと思います。芝居の流れは東宝版とほぼ同じ(「ナチ」と「闇が広がる」が入れ替わってるぐらい?)なので、私は基本的に宝塚版の歌詞に脳内変換し、一部を東宝版で観てました。

 キャストは
  エリザベート:MAYA HAKVOORT
  ルイジ・ルキーニ:SERKAN KAYA
  トート:MATE KAMARAS
  皇帝フランツ・ヨーゼフ:ANDRE BAUER
  皇太后ゾフィー:ELSE LUDWIG
  皇太子ルドルフ:FRITZ SCHMID
  バイエルン公爵マックス:DENNIS KOZELUM
  公爵夫人ルドヴィカ:LUZIA NISTLER
  ルドルフ(少年時代):JOHANN EBERT

収録は2005年10月30日、31日@アン・ディア・ウィーン劇場(ウィーン)。ウィーン版初演と同じか、改訂があるかは不明。

 ざっと観て思ったのは
小池先生って
すごいな〜〜

でした。この舞台を、基本的な雰囲気と話を変えることなく、一曲貰ったとはいえトート主役に変更し、多人数使用の大劇場向けに作り替えたんだもんねえ。ウィーン側が小池先生を評価したってのはわかるなあ。どこをどう考えれば、あんなにうまく翻案できるのかな。すごく感心。すごく感服。

 ただ、「私が踊るとき」→「精神病院」は、これを観ても納得できない。こちらの版でも流れは同じなのですが、こっちは納得なんです。それはたぶん、「ハンガリー戴冠」でエリザベートがあらゆる望みを手に入れたかのように思える瞬間も、彼女の闘いが終わったわけではない、という雰囲気が出ているからでしょう。東宝版の「私が踊るとき」は、あきらかに勝ち鬨で、ここで終わってハッピーエンドでもいいくらいのエリザベートが舞台上にいます。だからこそ、次の精神病院で「孤独なの。強い皇后を演じているだけなの。」と弱気になると、ハァ?と思うわけですな。さっきの勝ち鬨も演じていたのかい、と。でも、ウィーン版は「精神病院」すらも、闘いの道の中の出来事なのですな。弱気になる、のとは違うんです。だから自然な流れなんです。この差は、演出面に加えて、役者さんにもあると思います。やっぱ、一路さんだとね。雄々しくないから。

 そうです。ウィーン版のエリザベートは雄々しいのです。「孤独な皇后」ではなく、「闘うゲルマン女性」でした。体格差ではなく、もともとそういう話なのかも。不屈の闘志ではないんだけどね。闘わないと先に進めない、生きられないから、仕方が無く闘うんだけど、はたから見れば、なぜ無理矢理闘いに持ち込むのか、流れに任せればいいじゃないか、と思うような闘いを、孤独と絶望を道連れに突き進むようなシシィ。これはこれで、私が思う「エリザベート」像のひとつなので、なかなか楽しんで観ました。少女時代は、「少女になろう」って気が一切なのが潔い。なれないなら無理することはないんだねえ。HAKVOORTさんは初演キャストの一人みたいですね。
 KAYAさんのルキーニは、イタリアを通り越して、ほんのりアラブ系っぽい。だからね、「ジーザス」のユダも似合いそうなの。つまりはね、
このルキーニが
有りなら
キヨタン・ルキーニも
有りだろう

ってことですわ(これが言いたくて、この日記を書いています)。舌もベロベロ出しているし。ああ、キヨタン・ルキーニ!!観たいよ、ものすごく観たい!
 KAMARASさんのトートは、若いイケイケな兄ちゃん。耽美ではなく熱血狂気系。「ユニセックスなロックシンガー」が、トートのビジュアルイメージの一つでもあるようなので、これはこれで良いのでは。陽気な山口閣下に近いかも。
 BAUERさんのフランツは、よく知られている肖像画に似ている。頭部の頭髪ぐあいも含めて。カイゼル髭は西洋人には良く似合うわ。

 「闇が広がる」関連。トートとルドルフのチュー は有りましたが、あっさりめで、いかにも「死神からの『死の接吻』」でした。ウッチーのようなネチっこさは無かったわよ。「マイヤーリンク」では、スカートを履いたトートダンサー達が銃を蹴飛ばし合い、それをルドルフが追いかけるの。日本版でハンガリー王冠を追いかけるみたいなカンジ。これだけで、ウィーンの人は「マイヤーリンク」をすぐ連想できるんだから、「マイヤーリンク」事件ってかなりオーストリアの国民の中に根付いているんだなあ、と、関係ないことを思ったり。

 「ハンガリー戴冠」では、トランペットの人が舞台に上がり、スポットライトを浴びながらソロで演奏しました。
これが
威吹鬼さんなら・・・

と、腐った私は思うわけですな。


尻切れ気味だけど、言いたいことは書いたので終わります。