花組(東京宝塚劇場)「エリザベート」
■2003/01/30 (木)
 今日のエリザは2場面ほど新しい解釈ができるところがあり、とても新鮮な気持ちで見ることができました。1つはナイフを受け取るルキーニ。以前も尊い宝物を貰うようだ、と書きましたが、本日はそれを一歩進めて、自由になる鍵を貰った、そんな気がしました。それまで帝政に圧迫され、トートに操られた彼が、エリザベートを殺すことによって自由になれた気がしたのです。獄中で死ぬまでのわずかの間、その後煉獄に行くことも厭わない、それほどまで枯渇した「自由」を手に入れるための道具、それがナイフ。そのように思えました。2つめはエリザベートの昇天。エリザベートは満足しきった顔でした。精一杯戦い、精一杯生きた、そんな満足の生涯の果てに、さらに自分の意志で新しい世界に行く。「死」は絶望ではない。そのことを納得している顔で、涙が出そうなほど感激しました。今までのエリザベートとは違うけど、確かウィーン版に近い東宝版でも「今まで戦ってきた 負けたときもある それでも私が命を委ねるのは私だけ」という歌詞と共に扉を開けていた。だから、もしかして一番オリジナルに近いエリザなのかもしれない。それをどう表そうかと考えていたところ
生きた、愛した、戦った
という言葉が思い浮かんだ。ああ、「根っからのオタク」なワタシ・・・

 「初日は公開稽古」と言われるだけあって、東京に来て、さらに良くなった花組エリザ。ムラで見たときは、役者の顔が見え隠れしましたが、今回は「役」として見れました。オサ・トートは存在感が増した。vsエリザ、vsルドルフなど1対1の時は緊迫感があります。ただ群衆の中に入ると溶け込むかな?ショーでは華やかなので、芝居ではもう1歩前に出てもイイかも。ルドは大小とも演技がしっかりしてきました。あさこは自由自在に舞台に存在している。ショーの群舞は4組中一番シャープかもしれん。好き。ワタシ的には、やっぱ樹里ちゃんがキツいなあ。オヤジオーラがない。エリザを愛するくらい、皇帝の義務も大事に思っているはずなのに、それが感じられないのでエリザに振り回されているようにしか見えない。ルドルフ葬式の場面の退場も若々しすぎるし。どうにかならんかのう。

■2003/02/06 (木)
 千秋楽も近くなり、熱の入った舞台でした。本日は、まず精神病院の場面で泣きました。今まであすかちゃんについては「陵さんに比べると・・・」などと思っていたのですが、本日は病院に囚われているっていうのかな?肉体的・現実的には拘束されているのが伝わってきたため、より精神は自由なんだと思えました。魂の自由がないエリザベートと好(?)対照だったので、エリザベートの孤独は際だち泣ける場面となりました。ここは私はとても好きな場面なので、よい場面になってとても嬉しい。次に泣いたのは「闇が広がる」。ルドルフの孤独感・焦燥感が感じられました。トートの誘惑に可愛い(笑)叫び声をあげて逃げるトコも好き。あとはやっぱりラストだよね。エリザベートの満ち足りた微笑みは涙が流れます。
 オサが良くなってきています。前回はまだ押しが弱いと思ったけど、今日はそれは思いませんでした。あさこはなあ、すいません、好きなんで・・・。ルキーニとしては違うかもしれませんが、私にはこれでいいのです。アサコのルキーニってさ、トート様にさえ偉そうよね。さすが俺様。人間が敵うはずのない黄泉の帝王相手に強気とは、やはり俺様受け。ああ、ゴメンナサイ。ユミコのルドルフも繊細でいいよね。で、今日も注意して見ていたけど、樹里フランツは、やっぱ私好みじゃないなあ。ごめんね。あとハッチさんがイイな。ムラに比べると声も安定してきたし。歌姫のポジションといっても、花組だとこれぞ、という人がいない気も・・・。
 今回は、しばらく宝塚版のエリザが見られなくなるだろうと思って、気合入れて群舞を見ました。黒天使の踊りは、トートの意識の現れ。東宝版だと「踊れる人に踊らせた」以上のものは感じられませんが、宝塚版は作品に溶け込んでいる。それと結婚式の場面がすごく好き。ウィーン版では前衛的な装置が使われた場面だというので、ここの群舞や鏡は宝塚オリジナルだと思います。こういう、古典的でありながら、それこそキッチュな振付が宝塚でもできるんだと思うと嬉しいですよね。
 あ〜、そして、さよならみどり!ほさちの後、誰がトップになるんだとドキドキしていたら、いきなり公式HPに写真が載ったので、スピクのプログラムと付き合わせたっけな。それくらい急に思えた就任だったけどタモを支えてよくやってくれたよ。あなたの舞台はとても好きだった。外に出ても応援するよ!