星組(東京宝塚劇場)「王家に捧ぐ歌」
■2003/10/23 (木)

 いや〜、久しぶりに宝塚の「芝居」で泣いたよ。いいです。とてもいいです。メッセージ性が強すぎる、って言う人もいるかもしれない。でも、これほどストレートにメッセージ伝えられるのは、もしかして宝塚ぐらいかもしれないんだから、いいんじゃないかな。
 ワタル君はお披露目とは思えない堂々としたトップ振り。歌を差っ引いても大感動。実にスケールの大きい人です。将軍に選ばれて「うおおおおっ!」と雄たけびを上げる姿はゴリラの如し。しかし、ラダメスの後ろに数万人の兵士が控えているのが実感できます。知らず知らずのうちに裏切り者となったものの弁解することは一切ないのも男らしい。地下牢のシーン、「孤独だ・・・。でもアイーダが無事でいるのなら・・・」。かぁぁぁぁっ〜、泣けるぜ。ワタル君の芝居に泣かされるとは!返り咲き娘1の檀ちゃんも、歌はアレだが芝居はやっぱいい。美人で見得を切れるのもいい。ハッタリだけでもイイじゃんか!ファラオ亡き後、エチオピアを滅ぼせ、というのも、そしてラストの「自分が生きている限り戦はしない。それは虚しい言葉だとわかってはいる」の演説もカッコイイ。これもキャリアがあればこそ。そんな強い女王振りの中に、ラダメスを慕う乙女心が泣ける。ラダメスの処刑前にすがるアムネリスは切ない。そして!とうこちゃん!!彼女がいたからこそ、この舞台成立した。5月のドンと同じ人物とは思えないほど、可憐で可愛くて、でも芯が通っている女性。歌声がカワイイよ。「戦いは新たな戦いを生むだけ」。このフレーズも彼女の声だからこそ心に響く。地下牢に忍び込んだ彼女を見てラダメスは言う。「あなたが生き続けていくことが、死にいく自分の希望だったのに」。その気持ちも十分伝わってきたので、この時は私も辛かった。なぜラダメスと死ぬのか。でもアイーダは言った。「愛していれば生きるも死ぬも一緒よ」。愛している、ということに比べれば、生も死もたいしたことではない、と。うわわわっ〜、涙が止まらないよ〜。
 その他、チャルさんがいい!朗々とした歌声で芝居をレベルアップ。ブランコもラブリーよ!音楽もいいよ。甲斐先生のメロディーは心に残る。オペラというよりウェーバー系。西野さんの指揮も良かった。音楽的で芝居と一体化していた。舞台装置もGOOD!!キムシンは2幕あれば書ききれるのね!とにかく最後まで飽きさせない密度の濃い芝居でした。


■2003/11/01 (土)

 今回も泣きましたわ。平和平和とクドイ、と言う人もいるけれどさ。確かにさりげなくとか、演技で表すとかさ(←脚本の段階でそう作る。今回の出演者のせいではなく)、それが芝居としては正しいのかもしれないけれどさ。でもさ、今のトップはワタル君なんだよ。そしたら、正面から堂々と叫ばせる、ってのもひとつのテじゃないのかな。いいじゃん、ワタル君にはそれが似合うんだからさ。間違えよう無く客に伝わるよ。ああ、本当にすっかり男らしくなっちゃって。パレードの羽も大きく見えないよ。本人自体が大きく見えるからね。
 ラダメス処刑から最後までは涙、涙。前回は「不戦」の方に反応したけど、今回はラダメスとアイーダの「愛」に涙。ラダメスのね、「生きているアイーダが自分の希望」というのがね、もう、くううう〜〜〜(涙)、なのよ。闇の中で死んでいく自分の、ただ一つの希望だというラダメスの揺るぎない心がね、大きい愛なのよ。懐の深い愛なのよ。身体だだけじゃないのよ、大きいのは。心が大きいのよ、広いのよ。

 プリセツカヤの振付け。2つとも、いかにもロシア・バレエ〜(古典)ってカンジ。「凱旋」の方は、バヤデルカとかに見られる偽オリエンタリズムがバリバリ。どことなく見たことあるような振付なのは、プリセツカヤにオリジナリティが無いというよりは、彼女に深く深く根付いているものを、表に出して宝塚に移植したようなカンジです。デュエットはね。娘役側の踊りは相当力量を必要とします。うまい人であれば背を反らせるだけで絵になる(ハズ)の振付。でも檀ちゃんだから・・・。ワタル君はいいんだけどね。ここをヴィシニョーワとマラーホフで見てみたいものだ。絶対無理だけど。でもインペリアル・バレエ団とかでやってくれないかなあ。

 トウコちゃんの可憐なアイーダともいよいよお別れ。寂しいな。でも次の小次郎はカッコよさそう。相変わらずポスターはイカす齋藤くんなのだった。
http://kageki.hankyu.co.jp/revue/0312hosi/index.html