宙組(東京宝塚劇場)「ファントム」
■2004/08/03 (火)
 米国発のコピット版です。LW版のおどろおどろしさはなく、それに伴って出てくる「耽美」「官能」要素もなく、しかしながら、役者によるものでしょうか、えらく「ピュア」な世界に仕上がっていました。
 話としては、それはないだろうと思うとことはあります。「正式な婚姻によって生まれたのではない子供」「生まれながらに醜い」が、イコール「人を殺して当たり前な怪物」っていうのは、どうなのよ?とか。オヤジもさあ、不倫でできた子供をオペラ座の地下で、ひっそり育てるのはなぜなのよ?他にもやりようがあるだろうに。原作ではどうなっているのかわかりませんが、小説の設定に後付けしたようなカンジもします。
 あとね、やっぱりね、中村Bだからね。話の流れがエラく平坦。ここはミュージカルとして盛り上がるところだろう、っていうポイントがあっさり流れていってしまいます。なんかさあ、かなみんとかの「恋の鞘当て」が全然つまらないんだよね。たんに舞台に出しているだけのようで、もっと掘り下げられんのか!と思っちゃうの。あくまでも演出面でね。
 と、まあ、いろいろ不満ポイントはあるのですが
すべて
タカコさん&樹里ちゃんの
芝居でカバーできてる
のよ。
本当に、よく考えると、あんたさ〜、いま言うのそれ?と思うんだけどさ、
そんな理屈は
吹っ飛びます

いや〜、お二人とも渾身の芝居。樹里ちゃん、うまいよ。すんごいパワーよ。本当は腹が立ちそうなストーリーを、力ずくで泣かせるというか。すごく「ピュア」な世界でした。
 「ピュア」と言えばハナちゃんも。彼女の歌声が、作品、歌に非常に合っています。この場合、技術だけではダメでしょう。彼女の「(歌)声」だからこそ作品が成り立っているように思いました。
 タカちゃんもいいんだけどねえ。怪物・・・・・・・。それは違うだろう。顔半分が醜くても、もう半分がそれなら充分一般社会に適応できるって。なんて思っちゃうよ。でも、いつもより歌詞も聴き取れることもあって、すごく芝居に引き込まれました。
 あとは、スッシーーー!好き好き。渋くてカッコイイ〜〜。あひるちゃんも順調の育っているね。かなみんがメルトウイユのドレスを着ててビックリしたわ。言われているほど太くはないんだよね。首が短めだから、そう見えるのかな?


■2004/08/26 (木)
 楽近くということもあり、群舞の迫力が増していました。だいたい中村Bの作品は、場面場面のつながりが悪く、それこそ名場面集のようになってしまいがちですが、それが生徒の力により、だんだん繋がりが滑らかになっていくように思います。脚本・演出の段階で、もっとうまくできないものかなあ。
 さて。1回観ているので、最初から「キャルエールが全て悪い」モードで臨みました。だって、「できる限りのこと」って、劇場地下で育てることなんかい?死の間際や、クリスティーヌへの気持ちを思うと、本質的に、彼は心まで「怪物」ではなかった。それを、気に入らなければ人を殺してしまうのが当たり前に育ってしまったのは、キャリエールの責任のように思います。音楽的な才能もあるんだし、劇場地下ではなく、孤児を引き取ったという形で、外で育てられなかったのでしょうか?
 と、親子DE銀橋までは思っていました。でも、銀橋に入る前のところで、エリックは、自分が生まれてきて良かったといいます。クリスティーヌに会えたから、と。私は、今日はここで泣きました。平凡な人生が「不幸が1・幸福が1」であるならば、エリックは「不幸が1億、だけど幸福も1億」っていうのかな。もし、彼が外で育てられていたならば。平凡な人生が送られた可能性もあったかもしれない。でも。でも。彼が「怪物」であったからこそ、クリスティーヌと出会え、一瞬だったかもしれないけれど、生まれてきて良かったと、自分の人生・命にも価値があったのだと、彼自身が認めることができた。「人」として、これ以上の幸福はないかもしれない。彼は、あの人生こそが幸福であったのだと、そのように思えました。彼が幸福で心が満たされたのがわかりました。
 んんんんんん〜、本来の脚本上は、こういう話ではないような気がする。それを宝塚的に、感動させる作品に仕上げたのは、一重に役者の力量。タカコさんは、これが代表作になるだろうなあ。またね、やっぱりね。ハナちゃんとはゴールデンコンビなんだわさ。声質も合っているし。演技も合っているしさ。
 などと、感動しつつ。デュエットダンス直前の様子で。あひるの時までハナちゃんがいたりしてな〜、なんて思ったり。あと、タニの歌がないのも成功の原因だと思うんだけど、タニのフィリップもちょっと観てみたかったかも。んで、怪人の住むあの上でパトリックやルグリが踊っているんだなあ・・・とか。いや、ガルニエ宮、改装したし。。。。って、それも違うか。