2010年10月16〜18日
大連 その2
 

 
10月17日
おはようございます。
ホテル、22階の部屋から見た大連の街並み。

ほどよい天気。

朝食はブッフェ。
和洋中揃っています。

香港や上海で食べたパンが不味かったので
「中国はパンが不味い」と思っていたけど
ここは美味しかった。
特にチョコ入りのパン!サクサク!

本日は自由行動日。
 ・自由行動
 ・市内観光
 ・旅順観光
の、3班に分かれます。
旅順観光組はホテルロビーに8時半集合。
専務と部長ばっかり。
「人件費単価が高い人が多いです」
と言われるだけあるわー、ってメンバーです。
ミニバスで旅順に向かいます。

大連から旅順まで、現在は鉄道が通っていますが
数年後に路面電車が開通するそうです。

バス内で聞いたミニ知識。
明時代、旅順は「ライオン口(獅子口?)」と呼ばれていました。
都からはとても遠いところでした。
明から将軍2名が派遣され、
「旅が順調であった」ことから「旅順」と名付けられたそうです。

小一時間ほどで旅順到着。
最初の観光地は「東鶏冠山北堡塁」。
二〇三高地と同じく、ロシアの要塞があり、
旅順攻撃のために日本軍が攻めました。
要塞跡。








かなり広くて、頑丈そうです。

慰霊碑。


大砲。


現地、かどうかわかりませんが、
観光客の8割ぐらいが中国人だったと思います。
物見遊山の雰囲気でした。
高台にあって景色が良いからかしら?

次は旅順刑務所。

ロシア占領時代に建てられ始めたので
洋風煉瓦づくり。
日露戦争後、日本の統治時代に建て増しされました。
安重根も収容されていたそうです。












所長室。

最後の所長は8月16日だったかな。
終戦直後にソ連赤軍に捕らわれたそうです。
その後、どこか中国の収容所?刑務所に行って
最終的には釈放された・・・のかなあ。

当時の(中国人)政治犯も多く収容されていたため
現地の学校の見学も多く行われているようでした。

絞首刑場も公開。
絞首台の下に樽(棺桶)設置で
すぐに外に出せるようになっていたとか。

この辺は、中国の人のために「残さねばならない施設」
というので、わかるのですが。

資料館の方には、なぜだか日露戦争関係の資料が。
帝国主義の衝突の結果、この地が日本領土となり・・・
を説明するため、なのかな。
でも、旅順閉塞作戦の写真等はいるのだろうか。





(閉塞作戦記念の碇、らしい)

まして広瀬の写真は・・・


日本人が見たがるものを
サービスしてくれているようなかんじがしました。


 → 大連旅行(1)
  大連旅行(3) 
  大連旅行(4)