2010年10月16〜18日
大連 その3
 

 
お次は白玉山です。
「日露戦争後に東郷大将と乃木大将の提案で蝋燭のような「表忠塔」が建てられた。」

逆光ですいません。

ここからは旅巡の街並みも、湾も、よく見えました。





確かに、塞げそうです。

こちらも高台のためか、
中国人観光客が多くいました。
さっきの刑務所にもありましたが
この辺で日本人向けのお土産は
「日露戦争関連資料」。
写真が多い本で、3000円ぐらいだったかな。
買わなかったけど。
史料とはいえなさそう。
「坂の上の雲」を読んでここを訪れた人向け、
だと思いました。
司馬遼、いろんな人を食わせているんだなあ。

山を降り。
旅順駅。


いまでも現役です。

いずれ路面電車に切り替わるみたいですが。

お次はお昼。
昼食会場に向かう途中で見た大和ホテル。

川島芳子の結婚式が行われたホテルです。
現在は招待所(簡易宿泊施設)だそうです。

お昼は水師営会見所併設のレストラン。

海の近くだというのに、酢豚、麻婆豆腐、という
日本人向けのご飯。
こういうのって久しぶりだわ。
レストランに限らず、日本語を喋らない店員は
基本的に無愛想。
しばらく前まで「サービス」なんて概念がなかった国だもんねえ。
香港、上海に比べると、スレてないなあ、と
むしろほのぼのしました。
(日本語を喋れる人は、そんだけヤル気があるので愛想がよい)

水師営会見所。

2部屋しかない家でした。
もとは李さんという農家の家で、
日露戦争中に野戦病院として接収されたそうです。
1部屋は資料館。
さっきの刑務所で見た写真が裏焼きされていた・・・
もう一部屋は、実際に使われた椅子とテーブル。
と、琥珀売り場。

別棟の土産物屋。
さっきの大和ホテルの昔の姿。


ポスター広告各種。
李香蘭。


川島芳子。


水之江滝子(左)と山田五十鈴(右)

たぶん、非売品。
この土産物屋では
「満州鉄道を中国が接収したときに没収した品々を
 政府の許可を得て販売している」と言って売っている品々がありました。
買っている人もいました。
満鉄へのロマンはわかるけど、
それならロマンを買ったと思ってくれ。
騙されたんじゃないかー、とか
ブツブツ言うのは止めてくれー。

ついでに。
駐車場にいた犬。



さあ、いよいよ。
二〇三高地です。

経済開発区の開発が始まった頃(1984年)に
こちらの整備も始まったのかな。
ぶっちゃけ、日本人向き?

到着前にガイドさんから説明有り。
 ・観光バス駐車場から砲台設置場所までは歩くと片道30分
 ・急な坂道
 ・頂上まで行く登山バスがある。
 ・バス代は100元(=1300円)
一瞬、OKしようかな、と思ったけど
やっぱり止めました。
確かに急な坂でしたが、
「息が切れるなあ・・・」と言いながらも
60歳を越えた専務も10分ぐらいで到着したので
年配の方や、健康に不安がある方以外は
じゅうぶん歩けると思います。

この辺がガイドさんへのキックバックポイントなんだなあ。
わかりやすくて、かえってほのぼの。
(金を落とさなくてゴメンよ)

二〇三高地からの景色。

旅順の街が見えます。

当時の実弾を集めて立てられた忠魂碑。


二十八糎砲


要塞跡。


当時の写真を見ると禿げ山ですが
現在は木々が生い茂っています。

土産物屋。

司馬遼が食わせている・・・(以下略)


 → 大連旅行(1)
  大連旅行(2)
  大連旅行(4)